隠し事の美学
あまりゲームはしないほうだが、『バンドリガールズバンドパーティ!』という音楽ゲームが好きでリリース間もない頃からプレイしている。音楽ゲームは、曲に合わせてノーツをたたくという非常にシンプルな構造であるが、一番スポーツ的な側面を持っている。有名な太鼓の達人をはじめとして、どの音楽ゲームも高難易度になると汗だくになるほど激しくプレイしなければならず、体力と反射神経を備えた者が勝つ。
さて、音楽ゲームは継続しているとコツがわかってきて、段々フルコンボ達成が埋まってくる(さすがにAP埋めは無理)。フルコンボをしていない曲がどんどん減ってくるのが最初は楽しかったが、だんだん寂しさを感じるようになった。
終わりが見えてくると、虚無感が生じてくるのはどのようなシーンにおいても共通すると思う。好きなドラマが最終回に近づいてきたり、好きな作家のラインナップをすべて読み終えてしまいそうになったときなど、いくらでも状況はある。最近の言葉「○○ロス」は、この状況にぴったりだ。
恋愛においても隠し事は重要である。一度は好き好き言い合った相手と別れるパターンは、大きくわけて二つあると思う。一つ目は、相手の嫌な部分を知ってしまったから。二つ目は、特に相手に大きな不満があるわけではないけれど、一緒に過ごすことに飽きてしまったから。つまり、相手のことを知り尽くして、これ以上引き出しが無さそうに感じたから。前者は価値観の違いだからどうしようもないけれども、後者は対処のしようがある。秘密をもっておけばいいのだ。
だから、携帯電話やパソコンにロックをかけずにおくなんてことはいけない。決して推測できない複雑なパスワードをかけるべきである。そして、昔の恋人のことを聞かれたときに、実演販売の前口上のようにぺらぺら語ったりするなんてもっての他だ。一瞬物憂げな目をした後、せっかく一緒にいるときに水を差す話をしたくない、と話をそらしたほうがいい。相手のことをもっと知りたい、という知的好奇心をくすぐられなければ恋愛はなり立たないし、それが満たされたときには百年の恋も冷める。でも、あまりにガチガチに何も教えないわけにはいかないから少しずつ自分の情報を小出しにしてもよいが、決して尻尾は掴ませない。その隠された部分を知ろうと、相手は再びデートに行きたくなるだろう。
私は昔から、ミステリアスを貫く者は恋を制すと思っている。開けっぴろげよりも墓場まで持っていく秘密があったほうが、良好な関係を築くのにはきっといいはず。
マイナスから恋をはじめよう
恋愛指南本の目的は、恋愛に悩める子羊の恋の応援である。そのため、好感度を高めるためのアドバイスが多く、清潔感のある見た目、メールや普段の会話でのアピールの仕方などが取り上げられている。今回は、好感度を高めるために、好感度をあえて下げる方法を提案したいと思う。
非の打ちどころのない人は、天が二物も三物も与えたと羨望の目で見られることが多いし、実際に恋愛市場での需要も大きいだろう。だが、彼らには勝てないとの思い込みから、恋愛をすぐに諦めてしまうのはいけない。完璧な人ほど、何かやらかしたときのマイナスの幅も大きい。例えば、高学歴高身長高収入イケメンがおならをしたとしよう。別に悪いことをしているわけじゃないけど、百年の恋も冷めるかもしれない。ちょっと粗雑な言葉遣いをしただけで、勝手に王子様イメージを抱いていた人から、えっ…と思われてしまうかもしれない。イケメンや美女に対する周りの高評価は、危ういバランスの上になりたっている。なんでも兼ね備えた彼らに対し、頭の片隅に嫉妬を抱えている人も多いから、ちょっとしたことでも大きな粗のように思われてしまうのだ。
芸能人が不倫をすると、普段からある程度ゲスさを前面に出している人はさほどダメージを受けないけれども、家族への愛を売りにしている人はかなり痛手を負っている。この場合、肉を切らせて骨を断つ、ではないけれど、あえて普段からマイナスな面を出しておくことが、いざとなったときのダメージを抑える効果をもっている。ラブコメの金字塔『めぞん一刻』だって、五代君の響子さんへのイメージは最初あまり良くなかったはずである。浪人中の身でありながら勉強よりもスケベ心が勝っていて、だらしない…。しかしながら、響子さんの心を射止めるのだ(もっとも、五代くんはそこそこイケメンではあるけれども)。
恋愛シミュレーションゲームをプレイしたことがあるが、最初はちょっといけ好かない感じのキャラクターを攻略するシナリオが私は好きだ。ちょっといい部分を見せられるともどかしくなる感じは、ギャップ萌えとして皆さんご存じのはずである。ファッションがダサくて評判だとか、一度好きな人の前で盛大にやらかしたことがあるとか、マイナスの状態にあると思う人は、それをポジティブに捉えたほうがいい。今後積み重ねていけるプラスの幅は、最初から好印象の人より大きく、インパクト大なのだ。そして、相手にとって今の自分の存在が薄いと思う人は、一度あえてちょっとだけ嫌われる言動をする。そうすると、「無難にいい人」よりは印象には残るし、その後それなりにいい行動をすれば、ギャップでイメージアップする。ただ、ちょっと嫌われる言動の塩梅は難しい。下手したらセクハラパワハラになりかねないから、そこは相手の許容範囲をみて変えていったほうがよいだろう。
いつか恋愛指南本を出してみたいものである。
プリンス―プリンセス―プライスレス
みなさんは人生の中でお姫様、王子様という立場に憧れたことはあるだろうか。存在自体がきらびやかかつ品があり、クラシカルな装いがぴったりで、立ち居振る舞いが美しい人々。そんなイメージだろうか。好きな芸能人に王子様やお姫様の偶像をみる人も居るだろう。また、夜の世界ではホストのことを王子、客の女性のことを姫と呼ぶこともあるらしい。オタサーの姫などという言葉も存在する。
『白雪姫』、『眠りの森の姫』、『人魚姫』、『シンデレラ』…。童話の中に出てくる王子様とお姫様はみんな若い。小さい頃絵本をたくさん読んだけれども、年をとった王子様やお姫様はいなかった。王子様やお姫様という呼び名は、若い人の専売特許なのだろうか?
三島由紀夫の『スタア』という短編がある。この作品の主人公は若い銀幕のスターであり、世間からは王子様扱いされている。しかし、彼はスターを演じることでくたびれていて、現在の若い王子様の状態から変化することを極度に恐れている。歳を重ねることを罪だと考え、鏡越しに見た中年俳優のメーク前の顔を見て絶望する。しかしながら、彼の附人の中年であまり美人とは言えない女だけは、主人公がいくら歳をとろうがきれいな王子様と呼ぶことを誓う。三島由紀夫の作品では老いることに対する恐怖が描かれていることが多いと思う。三島は惜しくも亡くなってしまったけれども、『スタア』の主人公は附人の女のおかげで死なずに、物語の中で生き続けたかもしれない。この作品中では、所謂王子様と呼ばれる人が常に抱えている苦悩が描かれている。
最近、バルセロナの図書館が、眠りの森の姫や赤ずきんちゃんなどの童話をステレオタイプなジェンダー描写があるため、「有害な」図書とみなして排除する、というニュースを目にした。(https://www.newsweek.com/little-red-riding-hood-banned-school-over-sexism-concerns-1393134)。だけど私は、お伽噺はお伽噺として扱ってもよいと考える立場である。ディズニーをはじめとして、それらを題材にした様々な芸術作品が人々の心を楽しませてきたことも事実だ。古い童話たちも残しつつ、現代らしい童話をまた作っていったら良いのではないか。
女性らしさ、男性らしさを議論にするなら、『セーラームーン』や『プリキュア』がいい例だ。普段はかわいらしい女子学生でありながら、悪党達に勇敢に立ち向かう。そして、昨年『HUGっと!プリキュア』では初めて男の子のプリキュアも登場し、話題となった。戦う女の子・プリキュアの伝統は守りつつも、時代を上手く反映していくプリキュアは、現代のお伽噺かもしれない。また、昔見たセーラームーンの戦闘シーンはかなり過激で、仲間を失った主人公の月野うさぎが震えながら傷だらけで戦うシーンに感動したことは、今でも覚えている。彼女らはかわいくて、かっこいい。お姫様であり、王子様なのだ。
ある日恋人が突然アノマロカリスになったら
古生物はいつまで眺めていても飽きない。まだまだミステリアスに満ちていて、ロマンがある。おぞましいようで、私たちの想像を超えているから恐怖よりも好奇心が勝ってくるような、そんな生物たちである。彼らを眺めていると、ふとこんな考えに至った。もし、恋人が居たとして、ある日その人の見た目が突然アノマロカリスになったら、あなたはどうするか?
念のために、下にいらすとやさんから見つけてきたアノマロカリスのイラストを示しておいた。生物好きな人にとってはお馴染みであるだろうし、そうでない人もどこかで見たことがあると思う。これはデフォルメされていてとてもかわいいが、古生物関連の本でみる復元図には嫌悪感を催すひともいるかもしれない。さまざまな種類がいるが、大きな個体で1mほどである。

『美女と野獣』や『おおかみこどもの雨と雪』では男性のほうが獣の見た目になるのではあるが、全体としては人型であり、人と同じような生活も送ることができるように思える(実際に、おおかみこどもの雨と雪では獣の身体のままでセックスも行えている)。今回考えた状況にもっとも近いのは、カフカの『変身』だろうか。主人公のグレゴールがある日目覚めると、身体が人間と同じ大きさの虫になっているところから始まるこの物語は、見た目のもつ意味について考えるにはうってつけだ。
今回は、お付き合いしている人と二人で泊まった状況設定にしよう。そして、朝起きたら、あなたの愛する人が1mのアノマロカリスになっている。勿論人間の言葉でやりとりすることはできなくなっている。このとき、あなたは一体どのような行動をとるだろうか?考えられうる選択肢を、いくつか挙げてみた。
①見た目は関係ない。とりあえず一緒に今まで通りの毎日を送りながら、戻れる方法を考える。
②恋人のことは好きだけれども、このままでは一生まともに暮らしていけない。それならどこか遠いところで心中する。
③アノマロカリスなんて、とてつもない金になる。どこかの研究所に売る。
④アノマロカリスは海に住んでいたとされているから、海まで運んで放流する。
⑤どうしたらいいか分からないから、とりあえず警察を呼ぶ。
あなたはどの選択肢を選ぶだろうか?あんまり③を選ぶような人が多く居てほしくはないけれど、あのアノマロカリスが現代によみがえったなんて、ジュラシックパークが現実になったレベルの衝撃である。金に目が眩む気持ちも分からないではない。最初は①を選ぶ人もいるかもしれないけれども、戻らない期間が二週間、1か月、3か月…とどんどん長引くにつれて、途方に暮れてしまい、別の選択肢に移ってしまう人もいるだろう。第一、現実ではすぐに職場や家族から不審に思われて捜索願が出されるだろうし、一週間ほど隠すのが関の山だ。②の選択肢はロマンティックだけど、ほとんど選ばれないと思う。節足動物と心中した人の例を私は聞いたことがない。④のように、アノマロカリスの生態を思い出して冷静に海まで移動させようとする人もいないだろう。パニックになって⑤の選択肢を選ぶ人が一番多いのかもしれない。昨日まで一緒に過ごしていた恋人と同じとは認識できないだろうから。逆に、目の前の生物が恋人を食べてしまったと勘違いする人もいるかもしれない。
『変身』では最初は家族も多少気を遣うのだが、だんだん虫になってしまったグレゴールを邪険に扱うようになり、彼は悲しい最期を迎えてしまう。作品中で主人公の置かれた条件は厳しく、身体が虫になるのみならず、食生活や行動も虫と同じになる。言葉も通じない。ただ、思考する能力だけは人間と同じで、彼の中身自体は全く変わっていない。しかし、何かを伝えようとしても、人間には通じなくて気持ち悪がられるのみだ。もし言葉さえ通じれば、状況は違ったのかとも思う。エディー・マーフィー主演の『ドクター・ドリトル』で、ドリトル先生と動物たちが人間の言葉を使って交流する様子は凄く微笑ましい。でも、人間大の虫や巨大古生物などはやっぱり怖いだろうか?3日で慣れる、といったことはないのだろうか?確かに人間同様に意思疎通ができれば情は湧くと思うけれど(実際道具を使うカラスに親しみを感じる人は多いはず)、恋人関係は維持できないのではないか。肉体は精神の器とは言ったものの、その肉体を私達は化粧や服飾を通して死ぬまで磨き続けているのだし、肉体にまったく意味がないなんてことはないはずだ。
自分と似たような形をしているかどうかということが、恋愛にとっては重要みたいである。初回でアンドロイドとの恋愛の可能性に言及したけれども、それはアンドロイドが人型だから可能なのかもしれない。バーチャルシンガーの初音ミクと結婚した男性がいることも一時期話題になった。でも、思考がいくら人間と近くたって急に異種生物の見た目になってしまったら、それは受け入れることが難しい人も多いはず。その一方で、世の中には動物と結婚した人の例も存在するようであり、彼らのような人であれば動じないのかもしれない。
私がオバさんになっても泳ぎにつれていけるけど、アノマロカリスになっても泳ぎにつれていけますか?
婚活=ロマンティック×効率性
現在放映中の戦隊シリーズ『騎士竜戦隊リュウソウジャー』に婚活を行っているキャラクターが加入したというニュースを目にした。シンケンジャー以降戦隊シリーズは久しく見ていなかったが、ちょっと視聴意欲をそそられた。
「婚活」という言葉は社会学者の山田昌弘先生が使い出したことから広まったとされている。子どもも見る戦隊ものにまで登場してきたところを見ると、かなり市民権を得ていると思う。山田先生は、今では教科書でもお馴染みの「パラサイト・シングル」という言葉の生みの親でもあり、斬新な造語を作り出すのが上手い。
婚活と言えば文字通り結婚活動の略であり、結婚相談所に通ったり、街コンに参加したりといった活動を通して生涯の伴侶を探すことを指す。近年では、マッチングアプリを利用した結婚相手との出会いも増えてきているようである。しかしながら、どの手段を活用するにしても、なかなか骨が折れる。やりとりをして、実際にお茶をするまでにもそれなりに時間がかかるだろうし、それからお付き合いして、結婚してもよいかどうか判断するためにもさらに時間がかかる。この年齢までに結婚したい、という希望のある人にとっては効率性も重要だ。そこで、技術の力を借りるのである。
愛媛県のえひめ結婚支援センター(https://www.msc-ehime.jp/)では、AIを活用したマッチングを行っている。これは、蓄積された会員のプロフィールや行動履歴などのビッグデータをAIが解析し、合いそうな相手を探してくれるものである。少しロマンに欠ける気もしないでもないが、手間も時間も節約できる。AIのお墨付きということで、多少前向きになりやすい効果もあるかもしれない。
婚活には、効率性とロマンティックの両立が必要だ。できるだけ理想の相手と出会うまでの期間を短縮することと、その後の交際の部分をスマートにすること。これは、映画製作に通ずるものがある。映画の撮影時には効率性を高めるために、中抜きという作業を行うことがある。これは、同じ角度のシーンを続けて撮影することであり、映画もビジネスで時間がお金だから仕方ないことだ。しかし、観客にはそのような裏のちぐはぐとした事情は見せてはいけない。滑らかで美しいロマンティックな物語として、演出しなければならないのだ。
私自身は、恋愛の効率性とロマンティックに関しては、ほんとうは1:99の割合で追い求めたいと思っている。ロマンティックと言えば、C-C-Bの名曲『Romanticが止まらない』がすぐに思いつくけれども、あの燃え上がるようなシチュエーションに真面目に憧れる人間である。しかし、そこまで激しく情緒が揺れ動くような相手との出会いなんて天文学的な数字でしか訪れないものだし、現実における恋愛や結婚においては、それなりに条件に合致する相手を愚直に求める努力が一番大切だ。それに、私たちの毎日はロマンティックばかり追い求めるには忙しすぎる。そんな中であまりにも理想ばかり追い求めると有限の人生の中ではつけが回ってくるみたいだし、今後は3:7くらいの割合で留めて生きていったほうがよいと思っている。
命短し、恋せよ人類。
アウトオブ眼中の対義語って
アウトオブ眼中という言葉。死語と言われることもあるが、全く恋愛対象にないということを表現するには、もっともインパクトのある言葉だと思う。無関心、対象外、と言われるよりも随分とダメージが強い。濁音が二つ重なっていて、ごつごつとしたもので殴られたような感じがする。このアウトオブ眼中の意味、そして眼中にインするにはどうしたらいいのかを考えるために、ユクスキュルの個性的な著書、『生物から見た世界』が役立つ。
この本では、生物が世界をどう見ているのか、ということが軸となっており、それぞれの生物の主観的な世界が「環世界」という言葉で表現されている。例えば、マダニの環世界は3つの知覚標識(哺乳類の皮脂腺から出る酪酸の匂い、哺乳類の毛にぶつかったときの感触、哺乳類の皮膚の温かさ)と3つの作用標識(酪酸の匂いによって引き起こされる落下、哺乳類の毛に対する衝撃、哺乳類の皮膚に対する食い込み)からなる。非常に単純であるが、マダニにとっての世界はこれがすべてであり、それ以外のものは重要ではないのである。勿論人間の場合は異なる知覚標識と作用標識をもつが、基本は同じである。それぞれが主観的に見たいものを見ているのであり、それぞれの人間の環世界は眼中とイコールであると思われる。あなたがもし今脈のない片思いをしているのであれば、あなたが好きな彼、彼女の環世界にあなたは存在しない(=アウトオブ眼中)のだと考えればよい。
一方で、とりまく環境によって、想い人が感じるあなたの魅力度が変化する可能性もある。この本の中では、ヤドカリにとってのイソギンチャクが、状況次第で持つ意味が変わることを説明している。まず、ヤドカリが貝殻のみかぶっている場合には、ヤドカリはイソギンチャクを敵から守るための装備として扱う。そして、ヤドカリが貝殻さえかぶっていなくて裸の状態では、イソギンチャクを住居の代わりとして利用しようとする。そして、ヤドカリが非常に飢えているときには、イソギンチャクを食べてしまおうとするのである。これを、人間の恋愛状況に応用しよう。今あなたが置かれている状況では、あなたは相手にとってあまり魅力的に映らないとする。しかし、あなた自信が変わらなくても、いつもと違う環境を用意することで、相手があなたを見る目が変化する場合があるのだ。それを踏まえると、学生時代が最も恋愛に適した状況である、という説の説得力が増す。勉強によって賢さでアピールしたり、部活動によってスポーツや芸術のセンスを発揮したり、自分の何かしらの持ち味を見てもらう機会がたくさんあるのだ。ところが、社会人になるとなかなかそうはいかない。仕事だけでアピールするのは、なかなか難しいかもしれない。だが、結婚相手との出会いにおいて今でも職場は重要な役割を果たしているようだから、とりあえず積極性は大事なのかもしれない。学校では同年代の人がたくさんいるけれども、企業では同期の数はぐっと少なくなるし、男女比によっても競争率が変わってくる。
しかしながら、どうしても叶わぬ恋というものはあるだろう。それは社会状況が許さない場合もあるし、どうしても相手のアウトオブ眼中という場合もあるかもしれない。でも、失恋はそれはそれでうまく昇華できれば美しい思い出となると思う。
それにしても、アウトオブ眼中の対義語ってなんだろう?
日常が最上
深夜ドラマの『きのう何食べた?』が週末の楽しみになっている。原作者のよしながふみさんのことは『西洋骨董洋菓子店』を読んだことがあるので知っていたが、日常を描くことが非常に上手な作家さんだと思う。私は、もう少し若い頃、スリルが溢れるものばかりに憧れていた時期がある。映画はパニックもののB級映画、ドラマはサスペンス、小説も怪奇もの、といった具合である。今でもそれらは好きだけれども、同じくらい日常ものも見るようになっている。日常の生活を引き込まれるように描くことは、非常に難しいと思う。そのため、はまるものに出会えるととことんはまる。
本当にスリルがほしいならCIAの職員でも目指せばいいし、何でも屋でもやればいいと思うのである。しかしながら、私は優秀でもないし、そこまで重い責任を背負えそうもない。そして、他人の修羅場をリアルに楽しめるような人間でもない。だったら、スリルは空想の世界に委ねるしかない。
恋愛において、スリルとはなんだろうか?許されない恋のこと?昔は身分の違いが恋の妨げになることも多かったようだが、近年の日本では物語の題材としてもあまり見かけなくなったように思う。となると、身近な例だと不倫ということになるのだろうか。上戸彩さん・斎藤工さんの妖艶な演技が話題となった『昼顔』放送時には不倫が増えたという声もあるくらいだから、文学作品や映画に憧れて自分も、と思う人も存在するのだろう。随分ロマンチストなものだと思う。一般人であればばれる可能性は低いのかもしれないけれども、不倫に対する社会的制裁が年々大きくなってきていることは、各種報道に対する反応をみれば分かるだろう。そういえば、不倫によって辞任に追い込まれたCIAの長官がいたが、一体彼はどのくらいのスリルがあれば満足できたのかと思う。高所で一歩間違えば命を落とすようなパフォーマンスを笑顔でこなすルーファーと同じような人間なのだろうか。でも、成功している間だけかっこよく見えるのであって、不倫だってばれてしまえば誰かにとっての悪人だし、ルーファーだって命を落としてしまえば元も子もない。
『きのう何食べた?』の話に戻ろう。主人公のふたりは、中年のゲイカップルであり、二人の毎日の食事を中心とした日常風景が描かれる。スーパーでお手頃に買える食材で作れる献立ばかりが登場するので、漫画はレシピ本としても優秀である。作中では、同性愛者が直面する現実的な、シビアな問題(老後のことや子供のこと)なども描かれているのだが、それらの問題に対しては大きなスポットライトを当てるというより、日常の中でさらりと触れられている。同性愛者というとどうしても、異性愛者からするとマイノリティーと捉えられることも多いのかもしれないが、好きな人と過ごすことが大切な点は、みんな変わらないのである。家に帰ったら大切な人が居て、食卓を一緒に囲んで他愛無い会話をして…。毎日を一緒に暮らす中で、互いを思いやる気持ちが成長する。燃え上がるような恋ではないかもしれないけれども、その代わり簡単に冷めるようなものでもない。やはり、衣食住をともにすることは強力な絆をもたらす。
許されない恋の相手を求めるのではなくて、とりとめもない日常を楽しめる相手を求めること。現代では恋愛に対して悲観的な考えも多いから、それも立派なロマンチストなのかもしれない。さて、今日は誰と何を食べましょうか。